その向こうにある真実

よく考えてみれば、7月で、もうすぐ夏休みで、水着CGで、テストなんですよ。学校の掲示板にテストとレポートの説明やら日程やらの張り紙がされてました。で、俺はそんなもの見るのは怖いから、とりあえず通り過ぎておきました。近いうちには見ておこうと思っています。ただ、問題があります。俺は結構、授業を休んでいます。当然、ノートをとっていないわけです。レポートの説明も聞いていませんし、今の授業の状況もさっぱりわかりません。でも、他の出ていない人たちは知り合いにノートを借りたりして余裕のようです。俺はやばい!この俺がいったい誰にノートを借りたらいいんですか!?そりゃ、友達はいますが、その友達がとっていない授業の分が危ないです。知り合いレベルの人にノートを借りる勇気なんて持っていません。このままだと、本気で単位を落とします。意味の分からないレポートをしれっと提出することになります。とりあえず、まずはカレーをヤケ食いです。ここに来て、コミュニケーション能力の大切さに気づかされた、最近の大学生活でした。




さて、人間は視覚動物と呼ばれます。外界から与えられる情報のほとんどを視覚に頼っているからです。それは、視認しうるモノこそが現実であると言えないでしょうか?与えられた情報をが処理しているモノが現実であるならば、俺の視る世界が現実となりうるのではないでしょうか。っというわけで、なんとなくバンダイチャンネルフルメタを見始めたんです。ネットって怖いですね。クリックと簡単なパスワードだけで、アニメを買えるんですから。第1話はすでに無料視聴で見ていたので、第2話から見だしました。そして、気づけば第24話を見終わって、ふもっふの方へとマウスは向けられていました。どうして、止めることが出来たでしょうか?ただ、指を動かすだけでそこにある世界を捉えることが出来るというのに。そして、そちらも無料視聴は既に見ていたので、それ以外を第12話までノンストップごーごーでした。総話数34話。その時間はOPとEDを除いて一話20分で計算すると11時間!ほぼ一日の半分をフルメタの世界に費やしたわけです。もし、もう1時間、俺がその世界にいることができたなら、現実と創作の基準を逆転することが可能であったでしょうか?そんなことをだるい体をいたわりながら考えています。でも、体の不調は簡単に耐えられます。ただ、辛いことはこの萌える魂を語ることの出来る相手が未だ大学にいないということです。ひとり悶々と萌えるのみです。「なんで、徹夜?」とか、「眠そうだけど何かした?」とか聞かないでくださいと。言えませんから。あなたには言えませんから!これじゃ、俺は危ない人だなとちょっと思ったりしています。どうやら、俺はこういうことにしか、努力というか、根性みたいなものを使えない人種のようです。


p.s テッサはやはりいいです。危うく、萌えて戦死するところでした。