最終回の日々。

 さて、外国為替取引がいよいよ現実味を帯びてきました。ただ、ひとつだけ未だに大きな問題が残っています。俺はまったくもって知識がないということです。とりあえず、証券会社の資料を改めて請求してみようかと思っています。どこか、ひとつでも開設できたら褒めてやってください。それから、日経を読めと言われましたが正直、めんどうです。自分のカンだけで世の中を渡って行けたらどんなにいいことでしょう。そんなわけで、いつになるのかもわからない金儲けを相変わらず今日も考えています。ところで、今日は大学の文学論の授業で乙一作『小生物語』が教材として使われました。
  小生物語
この作品は以前、彼自身のHPで日記として公開されていたものを書籍化したものです。このWEB上の日記にはいくつかの特徴があります。ひとつは、日記の内容が始めは平凡なものであったのに対し、日が立つにつれそれらの内容はオモシロ可笑しく脚色されだします。この傾向はエスカレートしていき、明らかに嘘であることまで書かれています。こうなるとフィクションのジャンルに近づくわけですが、それでも、やはり作品は彼自身の日記の枠を出ることはありません。そして、この日記にある最も特筆すべき点は、彼が日記上で使う人称が「小生」であることでしょう。彼は作品のあとがきで、なぜ「小生」という人称代名詞を使用したかについて説明しています。彼は普段より「人称」というものについて思い悩んでいたと言います。「俺」、「私」、「僕」などどの人称を使うかによって作品中のキャラクターの持つイメージが大きく変わるためです。彼はこの問題に多大な興味を抱き、この日記を書く際にひとつの実験を行いました。彼は普段の生活の中では自分を「僕」と読んでいると書いています。しかし、彼は日記で「僕」とは記入しませんでした。彼は言います。「『小生』という日常生活ではおよそ使い得ない人称によって、日記を書く私でありながら、私ではないもうひとつの存在をこの実験により発見することに成功した」と。始めはただ、実験として「小生」と記述していただけでしたが、いつしかそれは、新たな自己であり、第三者の立場に近い形で存在しうる自己の創造につながりました。この「小生」というキャラクターは彼の目線で彼を描きながら彼とはまた一線を画しています。この、実験は文学論においても大変興味深い内容であり、彼の以後の作品へと生かされていることでしょう。なお、彼は最後に言っています。「この本を出版することに私は反対する。これはWEBで公開された平凡な日記に過ぎず、この本を買った読者が損をするばかりである。」と。ちなみに俺は授業で読んだので損はしてないことになりますね。で、結局何が言いたかったのかといいますと、俺もブログでの人称を変えてみようかなって話しでした〜。




さて、昨日の「まほらば」よかったです!心がハートフルになりました。そのまま寝るのがもったいない限りでした。さらに、次回からの番組告知で「ぱにぽに」を見ました。次回からこの枠は「ぱにぽに」のようです。がんばれ一条さん〜。ベッキーもがんばってみれ〜!そして、今日は「魔法先生ネギま!」の最終回です。いったいアスカはどうなるのでしょう・・・。今から想像が止まりません。見終わった跡に興奮して眠れない可能性があるので今日は昼寝を存分にしました。これで徹夜になっても明日の授業への影響は少ないでしょう。余談ですが、さっそく髪を切りました。あんまりすっきりしてません。もっと短くすべきだったのでしょうか?次は少し考えてみます。髪でも染めてみるかなぁ・・・。


p.s 最近、大野にゃんに狂った男たちの叫び声がこだましています。





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